能登半島地震で動いた
輪島市門前町中野屋地区の「断層」の発掘調査結果
−第2報−



山形大学地域教育文化学部 生活総合学科生活環境科学コース 川辺孝幸
金沢大学能登半島地震断層調査グループ断層発掘作業担当
金沢大学大学院自然科学研究科  石渡 明
同上 平松良浩
同上 奥寺浩樹
金沢大学埋蔵文化財調査センター小泉一人
株式会社 ダイヤコンサルタント冨岡伸芳
同上 坂倉範彦

第3報によって変更・補足がおこなわれた部分はグレーで表示し,第3報へのリンクを追加しました.
 
 能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の「断層」の発掘調査結果(2007年04月18日作成,2007年04月19日更新)で報告した発掘調査に引き続き,ダイヤコンサルタントの協力のもとに深堀りトレンチ発掘調査と周囲の変状の再検討をおこないました.
 その結果,能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の道路で確認された『能登地震を発生させた断層の一部が地表に露出している』(金沢大学能登地震断層調査グループ)とする「断層」は,過去の地すべり地塊と基盤の泥岩を境する,泥岩の層理面とほぼ平行な剪断帯が,右横ずれ成分をもったやや上盤側が沈み込む正断層(成分として横ずれ成分の方が大きいので,縦ずれ成分をもった右横ずれ断層の方が正確かもしれません)として動いたものであることが確認できました.
 しかし,動いた地塊の範囲は,水田の撓みからある程度推定はできますが,まだ確定できておらず,現在おこなっている測量の解析結果を待たなければなりません.
 発掘調査によって確認された剪断面が,層理面に沿って更に深い基盤岩中へと続く構造的な正断層の可能性も否定できません.今回の地震で中野屋地区の地表に現われた「断層」の動きが,地震動によって古い地すべり地塊が局地的に動いたことによるもの(非構造性の断層=ノンテクトニック断層)か,地下深くの断層の動きの一部がこの地質境界に沿って地表に現われたもの(構造性の断層=テクトニック断層)かは,まだ断定できません.もし,地下深くの断層の動きの一部が地表に現れた構造性の断層だとしたら,地下では震源解析で逆断層と思われる断層が,なぜ地表付近で正断層になったのかという,構造地質学的に非常に興味深い現象ということになります.
【第3報】

公開:2007年05月05日,2007年06月20日更新

能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の「断層」の発掘調査結果
−第3報−(公開:2007年06月08日)はこちら




【調査の概要】

 4月14日に輪島市門前町中野屋地区において,金沢大学能登半島地震断層調査グループが3月27日に能登半島地震断層を発見した地点(概略の位置図は「断層発見」ページを参照)の横の水田で,地権者の快諾のもと,川辺と金沢大学能登半島地震断層調査グループの協同で,断層発掘調査(小トレンチ)を行いました(図1図2).
 その結果,水田耕作土とその直下の中礫が点在する暗灰色の砂質シルト層の下に,北東方向(北60度東)に伸び,南東へ30度傾斜する断層破砕帯(幅5cmの粘土帯)を確認することができました.確認された断層面の下盤側の地層は縄又層の泥岩と考えられますが,上盤側の地層は崩壊堆積物で,おもに縄又層由来の大小の角礫からなり,岩相が非常に不均質で,過去の地すべり堆積物である可能性があります.今回発掘された断層が,地震を発生させた地下深くの断層の一部が地表に露出したものなのか,それとも地震動によって昔の地すべり地塊が少し再移動しただけなのか,確認する必要がありました.
 そこで,4月17日に,地権者のご理解のもと,ダイヤコンサルタントの協力を得て,水田の,4月14日に掘削した小トレンチの南西側に隣接する場所に,深さ3m,開口幅5m,長さ約11mのトレンチ(大トレンチ)を新たに掘削しました(図1図3図4【第3報】

【大トレンチ発掘の結果】

 大トレンチの発掘では,現河床より低い,水田面からの深さ3mまで掘削したにもかかわらず,地山の縄又層に崩壊堆積物が乗る境界面は確認できませんでした(図5).下盤側の縄又層と上盤側の崩壊堆積物を境する断層は,両者の境としてトレンチの底まで続いていました.

 しかし,大トレンチの発掘によって,重要なことが3点明らかになりました.

大トレンチの発掘で明らかになったこと−その1 水田耕作土とその直下の礫まじり砂質シルト層が,それより下の地層を平らに削って重なっていることは,基本的には小トレンチで確認されていました.今回,トレンチの南部で,礫まじり砂質シルト層に不整合に覆われる下に,さらに,巨大ブロックの集合体からなる地すべり堆積物を不整合に覆って,9〜10世紀の様式の須恵器(石川県商工外連合会 広域指導センター能登支所 唐川明史氏発見・鑑定)を含む炭質シルト層が南に厚くなって挟まっていました.
図6).
 このことから,断層破砕帯や上盤側の崩壊堆積物中の現象は,水田耕作土とその直下の地層の堆積する以前よりさらに古くさかのぼって,この9〜10世紀の須恵器の破片を含む炭質シルト層の堆積以前におこった現象であるということになります.

 9〜10世紀の須恵器の破片を含むということは,そのままそれを含む炭質シルト層が堆積した年代が9〜10世紀であることを示すわけではありません.炭質物からC14放射年代の測定をおこなって地層の年代がわかれば,炭質シルト層の堆積した年代がわかり,断層破砕帯や上盤側の崩壊堆積物中の現象の年代も,さらに絞り込むことができます.【第3報】

大トレンチの発掘で明らかになったこと−その2 第2点は,断層破砕帯の上盤側の地層は,実は,数十cm〜数mの巨大ブロックの集合体からなる地層で,巨大ブロック自体が崩壊堆積物や土石流堆積物からなっている,ということです(図6図7).
 つまり,過去に,東側の山の斜面で地すべりや土石流の発生があって,そのふもとに堆積した堆積物が,さらに地すべりによって破壊され,移動して,現在の位置にやってきた,ということになります.
 小トレンチで観察された崩壊堆積物は,実はこの巨大ブロックの集合体の一つのブロックの中を見ていたことがわかりました.また,液状化・砂岩脈は,巨大ブロックの集合体が堆積するときに発生して,ブロック中の割れ目に入り込んだものであると考えられます(図8).

 なお,小トレンチで断層破砕帯に植物片が含まれるとした植物片ですが,大トレンチでは,繩又層には植物化石が含まれていて,立木の根の化石なども観察でき,新第三紀中新世の時代の,繩又層の植物化石であったことがわかりました(図9).

 また,トレンチの南部では,巨大ブロックの集合体からなる地すべり堆積物の上位に,礫まじり砂質シルト層に不整合に覆われて,炭質シルト層が南に厚くなって挟まっていて,その中に9〜10世紀の様式の須恵器が産出しています(石川県商工外連合会 広域指導センター能登支所 唐川明史氏発見・鑑定).

大トレンチの発掘で明らかになったこと−その3 重要な第3点は,断層破砕帯での,すべり面の実移動の方向がわかったことです.
 断層面上に見られる,こすれた時にできる擦り傷(条痕)は,南西方向でやや下向きの方向に付いていました(図10,(図11).このことから,断層面上では,上盤側の崩壊堆積物が南西方向にやや下向きの方向に移動したことが判断できます.

 また,小トレンチで,断層破砕帯の下に不整合面があるとした面は,実は,これも断層面で,南西方向でやや下向きの方向の伸びを持って続く,スプーンでえぐったような溝状の断層面で,それがいくつも断層破砕帯の下にあることがわかりました(図12).
 その断層面から分岐した破砕帯が,下盤側の縄又層に,破砕帯よりやや急な角度で下側に伸びているものもありました.これらの破砕帯もまた,それぞれ,南西方向でやや下向きの方向を示す条痕が認められました.
 さらに,断層破砕帯に接する上盤側に大礫がある部分では,断層破砕帯が大礫に押し集められている様子が観察されました(図13).押し集められた部分は,断面では大礫の右下方向に認められます.このことは上盤側が右下方向の成分をもって動いたことを示しています(図13右下の絵).

 これらの状況から,断層破砕帯は,上盤側の地層が南西側にやや下向きに運動することによってできたことが明らかになりました.

 逆断層や逆断層の成分を含む横ずれ断層は,一般に,上盤側の地層が下向きの成分を含む方向に移動してできることはありません.したがって,今回の断層破砕帯は,重力滑動を含む正断層もしくは正断層の成分を含む横ずれ断層,ということになります.

 なお,金沢大学理学部 田崎和江氏の分析によれば,断層破砕帯をつくっている物質は,ほとんどが水を含めば膨潤しやすいスメクタイトという粘土鉱物からなっているということです.このスメクタイトからなる断層面に条痕が付いているということは,条線をつくる断層の運動時には,湧水を伴うような多くの水分は断層破砕帯には含まれておらず,比較的に乾いた状態であったと考えられます.
 大小のトレンチの掘削時には,断層破砕帯からはたくさんの湧水が出ていました.もしかしたら,地震動があった後から,地下での地下水の状況が変わって,湧水が湧き出るようになった,ということも考えられます.【第3報】
【大トレンチ発掘からの結論】

 今回の地震でこの巨大ブロックの集合体からなる地すべり堆積物が動いたかどうかについては,確実に動いた証拠=破砕帯の一部が地表まで達する様子が観察できなかったので,直接確認することはできませんでしたが【第3報】,地表である水田には,雁行する開口割れ目があったことや雁行割れ目の付近で稲の切り株の列が右へ10 cm程度屈曲していることから,動いたことは間違いないわけです.

 断層破砕帯には,断層破砕帯が乾いた状態でできたことを示す条痕があることから,断層破砕帯より上盤側の巨大ブロックの集合体が,断層破砕帯に多量の地下水が入る前の段階で移動した可能性が考えられます.
 すべり面が乾いた状態では,重力の作用だけで地すべりが移動する可能性は低いので,「地震動(の影響)により移動した可能性が大きい」と考えられます.

 以上のように,大トレンチの観察結果からは,断層破砕帯は,基本的には,上盤側の巨大ブロックの集合体が地すべりによってこの場所に,南西方向でやや下向きのすべり面をもって移動してきたときにでき,今回の地震によっても地震動による慣性力によって移動したかもしれない
【第3報】,非構造性の断層=ノンテクトニック断層であることがわかりました.

 なお,このような慣性力での運動として観察してみると,道路で確認された「断層」の延長線上にある,用水と濁池川のコンクリート護岸の接合部の破断も,濁池川護岸にはもともと河床部分から伸びるひび割れがあるにもかかわらず,そのひび割れは全く動いておらず,護岸の上部のみ,用水の護岸に押されるかたちで割れています(図15).この破断も,地下の断層の動きと考えるより,用水と濁池川のコンクリート護岸同士がお互いにそれぞれ独自の慣性力で動いて衝突した結果であると考えた方が妥当です.

【周囲の状況の再検討】

 以上のように,トレンチ発掘からは,能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の県道で確認された「断層」は,地すべり堆積物が,ブロックとしてすべり面を境に慣性力によって移動してできたと考えられますが【第3報】,この地すべり堆積物がブロックとして動いたとする以上,地表に,動いた部分と動かなかった部分の境目が,連続しているはずです.

 そこで,周囲の状況を再検討してみました.

●50年以上前に耕地整理があって,地形が改変された
 その前に,地元の方々から伺った貴重な話.この周辺の水田や県道,濁池川は,50年以上前の終戦後に,耕地整理によって蛇行した川を直線に直し,宅地から西に延びていた尾根も切り取って水田にしたということでした.道路で確認された「断層」や今回発掘したトレンチの位置は,ほぼ昔の尾根の南斜面から当時の水田に移り変わる場所であったとのことです.

 国土地理院の国土変遷アーカイブで,1951年に米軍が撮影した空中写真を見たところ,確かに現在とは違う当時の様子が確認できました.この話と米軍の空中写真をもとに,当時の濁池川の流れの様子を描いたがのが図16です.【第3報】

 確かにトレンチを掘った際,いきなり地山の繩又層が出てきたのにはびっくりしましたが,当時の尾根だったところだとわかれば納得です.この尾根だったときのなごりは,旧河道に沿った用水との合流部付近の濁池川河床に地山の繩又層が露出していて,昔は尾根だったことがわかります.
 また,トレンチでは川が堆積した砂利が全く出てこずに,水田耕作土直下の礫混じり砂質シルト層が,下位の断層破砕帯や砂岩脈の発達する地山と崩壊堆積物を真っ平らに近い浸食面で削って堆積しているのが不思議でしたが,”耕地整理”という人為的な浸食と堆積によってできたとすれば納得です.

●地すべり移動ブロック周囲の変状
 さて,トレンチの部分で断層破砕帯を境に,巨大ブロックの集合体がブロックとして南西方向にわずかでも移動したとすると,移動したブロックの南西側には移動してきたブロックと動かなかった地山との境目付近は圧縮を受けたはずですから,何らかの圧縮に伴う変状があるはずです.また,移動したブロックの北東側には引っ張りによる変状が,移動したブロックの南東側には,今回見つかった「断層」とは逆の左横ずれを示す地割れなどの変状があるはずです.【第3報】

[新たな割れ目は見つからなかった]
 地震の直後に調査をおこなった金沢大学能登地震断層調査グループの調査結果と同様,今回も地割れなどの変状は,地すべりと地山との境界があると推定される元の濁池川があった現在の濁池川右岸から住宅地にかけての地域を含め,推定される移動ブロックの周囲には,トレンチ発掘地点から道路を横切って住宅地にかかる範囲以外には,どこにも見つけることはできませんでした.

[県道より東側の水田の撓み]
 しかし,今回の発掘の前後で雨が降ったことによって,県道より東側の,宅地南側の水田に水たまりができ,変状の様子をかいま見ることができました(図17図18).
 水たまりの様子からは,県道東側の宅地南側の水田のうち,道路沿いの電柱よりやや北側が,南部に比べて数cm沈み込んでいることがわかります.境目には亀裂が無く,緩く撓(たわ)んで北側が沈み込んでいるようです.
 道路に面した水田より1段高い水田にも,同様な沈み込みが見られます.よく見ると畦もやや南側に比べると低くなっています.

 土地所有者の話によると,「撓んで低くなっている部分は,泥が厚くて腰までのゴム長でないと入れない,去年の春にはレベルを使って平らに田を耕したので,今低くなっているところは1年前から現在までの間に沈んだところだ.今回の地震で沈んだかどうかはわからない」とのことでした.
【第3報】
   この水田の沈み込み部の延長線上には,新しい道路の補修跡があり,横ずれ割れ目は伴わなかったものの,水田と同様に,路面も沈んだりの,なにがしかの変状が起こった可能性もありますが,実際に,地震時に動いたかどうかは確認はできません.

[県道から民家に上がるコンクリート製スロープの継ぎ目の開口]
 能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の県道で確認された「断層」のすぐ南側には,宅地に上がるコンクリート製のスロープがあります.このスロープは,数mごとに板で仕切って,コンクリートを打ち繋いでいます.
このコンクリートの打ち繋ぎの部分は,宅地に上がりきるまでに3箇所あります.この打ち繋ぎ部分の,一番下のものには変化が見られませんでしたが,下から2番目のものは約1cm,3番目のものは約0.5mm開口していることがわかりました(図18図19).
 この2つの開口で,すくなくともトータルで1.5cm,スロープが南東側にずり下がって,道路を押したことがわかります.路面上で見られた右横ずれの実移動約10cmのうち,少なくとも1.5cm分はこのスロープが押した結果であることになります.

 このスロープの打ち繋ぎ部分の開口は,スロープの左右にある排水路との境目を通って,北側はコンクリートの土留めを割って開口させて,北側の畑へと続きます(図18図20).この変位は,おそらく,道路面の右横ずれへと繋がっていると思われます.南側については,排水路のつなぎ目をやや広げている部分はわかりましたが,その先は不明です.

【まとめと今後の課題】

 以上のように,能登半島地震で動いた輪島市門前町中野屋地区の道路で確認された「断層」は,能登地震を発生させた断層の一部が地表に露出したのではなく,地すべりが運動したときの地すべり面の断層破砕帯を境に,上盤側の地すべり堆積物が,地震動による慣性力で,地山とは独立して運動したことによってできた非構造性の断層=ノンテクトニック断層であると考えられます【第3報】図21).
 推定される移動ブロックと動かなかったと思われる地山との境目に関しては,地山より上の被覆層が薄い北側では水田の雁行割れ目や道路の右横ずれなどの割れ目,コンクリートスロープの開口など,地表に割れ目が現れたのに対して,軟弱な泥が厚い東側や南側では,泥の下に割れ目ができても,上の厚い泥が変形することによって撓曲というかたちで解消したと考えられます.

 実態の解明には,以下のように,まだいくつか残された課題があります.

1.なぜ現河床より深く掘っても地すべり堆積物が続いていたのか?【第3報】
2.巨大ブロックの元となった地すべり・土石流堆積物はいつ堆積したのか?【第3報】
3.巨大ブロックの集合体を堆積させた地すべりはいつ起こったのか?【第3報】
4.南西側やや下向きに移動の今回の移動ブロックの南西縁はどこにあって,その部分ではどのような変状が起こっているのか?【第3報】
5.今回調査した範囲では地震動の慣性による移動ブロックの運動であると解釈できたが,変状の範囲はもっと北東側および南西側に連続しないかどうか.するならば,やはり断層の可能性がある.【第3報】
6.今回ノンテクトニック断層と判断した断層面の連続はどうなっているのか?【第3報】
7.慣性力によって移動したとすると,移動ブロックの断面形状どうなっていて重心はどこにあるのか?

 などなど...

 2と3については,巨大ブロックの元となった地すべり・土石流堆積物中と巨大ブロックの集合体のブロック間の堆積物(基質)から植物遺体を探してみました.もともとの地すべり・土石流堆積物中には植物遺体が見つかりましたが,ブロック間の基質からは見つけることができませんでした.植物遺体からC14年代を測定中です.【第3報】
 1と絡んで,日本の地すべりの多くは第四紀後期のヴルム氷期最寒冷期の低海水面期に発生しています.海水面が低下して,谷の下刻が上流まで及んで谷が深かった時期に発生した地すべりなのかもしれません.5の断面形状や断層面を追跡するボーリング調査と合わせてさらなる調査が必要です.【第3報】

 4と5については,より広範囲な測量などによって,広域的な変状を明らかにする必要があります.【第3報】

 最後に,快くトレンチ掘削調査に応じていただいた地権者を含む地元の方々の皆様にはさまざまな貴重な情報を寄せていただきました.また,産業技術総合研究所活断層研究センター 粟田泰夫氏,電力中央研究所地球工学研究所 井上大榮氏,東京工業大学 衣笠善博氏,富山大理学部 竹内 章氏・柏木健司氏,香川大学工学部 長谷川修一氏,(株)アーキジオ新潟 野崎 保氏,(有)風水土 永田秀尚氏,風岡修氏をはじめとする千葉県環境研究センターのみなさんほか,たくさんの方々から,トレンチ壁面の観察や周囲の変状等に関して貴重なご意見と討論をいただきました.金沢大学理学部 田崎和江氏には,断層破砕帯の粘土と湧水の分析結果について貴重なデータを提供していただいた.石川県商工会連合会広域指導センター能登支所 唐川明史氏には,須恵器片を発見・鑑定していただいた.以上の方々に,記してお礼を申し上げます.

(文責:川辺孝幸)






図1 輪島市門前町中野屋地区の道路で確認された「断層」西側の水田におけるトレンチ発掘の場所.図は,国土地理院
平成19年(2007年)能登半島地震空中写真評定図・災害状況図の空襲写真および Google 地図検索のオルソ化空中写真などをもとに作成し,前報告図1の記載内容を転載して,今回の大トレンチの位置を書き加えた.(川辺原図)





図2 4月14日におこなった小トレンチの東側壁面の概略のスケッチ図(川辺原図) 現地での露頭観察,地層剥ぎ取り試料の室内観察,写真観察に基づいて作成(
発掘調査結果に掲載しているものと同じ図です).





図3 4月17日におこなった深さ約3m,開口部約5m×11m,底部約2m×7mの大トレンチを西から望んだ写真 道路の補修跡が
右横ずれの「断層」が発見されたところ.大トレンチと道路の間の水田部分には小トレンチがある.道路の右横ずれの「断層」の南西側の延長部の,小トレンチおよび大トレンチの壁面で,下盤側が新第三系繩又層,上盤側が崩壊堆積物等からなる南東に傾く断層破砕帯が見つかった.これらはいずれも,水田耕作土とその直下の礫混じり砂質シルト層に,ほぼ水平に削られている.





図4 4月17日におこなった深さ約3m,開口部約5m×11m,底部約2m×7mの大トレンチを北から望んだ写真(川辺撮影) 写真左側(東側)に小トレンチと道路をはさんで宅地へのコンクリート製スロープが見られる.トレンチの南側の狭くなった部分には,巨大ブロックの集合体からなる地すべり堆積物と水田耕作土直下の礫混じり砂質シルト層との間に,暗褐色の腐植質シルト層がくさび状に挟まれているが,その中から,石川県商工会連合会 唐川明史氏によって,9世紀〜10世紀の様式の須恵器の破片(鑑定:唐川明史氏)が発見された.





図5 大トレンチの東西壁面および底面(川辺撮影) 写真中央部に,東側壁面から底面をとおって西側壁面に至る断層破砕帯が見られる.断層破砕帯は1つが連続するのではなく,円弧状に上位ほど高角度になる複数のすべり面が合わさってできていることがわかる.断層破砕帯の下盤側は新第三系の繩又層の砂質泥岩で,断層破砕帯の上盤側は地すべり性・土石流性堆積物からなる巨大ブロックの集合体からなる地すべり堆積物からなっている.





図6 大トレンチの断層破砕帯より南の上盤側の巨大ブロックの集合体(川辺撮影) 大トレンチ内の人物より左側の東壁面には,小トレンチから続く,茶色っぽい色をした土石流堆積物および細粒の崩壊堆積物の互層からなる北傾斜を示すブロックがあり,人物の頭の上付近の南東角には亜円礫混じりの土石流堆積物を主体とする,ほぼ直立した走行傾斜を示すブロックがあり,頭より右側の南壁面から南には,下部が黄白色の崩壊堆積物と土石流堆積物の互層,上部が写真左側と同様な岩相を示す地層からなる南傾斜を示すブロックが見られる.このブロック中の岩相および層の重なり具合からは,巨大ブロック群がやってきたもとの場所では,地すべり崩壊堆積物が堆積したあとに,土石流堆積物が頻繁にやってきたことがわかる.植物遺体は,この土石流堆積物を主体とする地層中から見つかり,C14年代測定用の試料として採取した.





図7 大トレンチ南壁面最深部付近の巨大ブロックの集合体下部の様子(川辺撮影) 数十cm大の小規模な角張ったブロック群の集合体からなっている.巨大ブロック群の集合体の全体像は見られないが,下部に写真のような小さいサイズのブロックがあり,上部に巨大ブロックがあって,逆級化しているのかもしれない.もしそうであれば,巨大ブロック群が互いにぶつかり合い運動しながらこの場所にやってきたと考えられる.





図8 大トレンチ東側壁面でみられる砂岩脈(川辺撮影) 小トレンチでも観察された
砂岩脈である.大トレンチでは,すべり面から伸び上ほど高角度になる面に沿って,土石流堆積物を主体とする北傾斜のブロックに割って入っている様子が観察できる.小トレンチでの剥ぎ取り試料の観察で,破砕帯の剪断面と砂岩脈は切りつ切られつの関係にあり,ほぼ同時期に形成された可能性を指摘したが,大壁面では,その様子がよく観察できる.





図9 大トレンチ西側壁面の断層破砕帯直下の繩又層に見られる立木の根の化石(川辺撮影) 断層破砕帯にほぼ平行な繩又層の層理面にたいして下および右下方向に深さ30cm以上で根を張る立木の化石.樹幹の直径は約3cm.樹種は不明であるが,周囲の岩相としては海成の泥岩であり,ラグーンの環境に生育していた植物であると考えられる.小トレンチでは,断層破砕帯に含まれる植物遺体は,崩壊堆積物の堆積時に含まれた植物遺体の可能性もあったが,そうではなく,繩又層由来の植物化石である可能性が高いことがわかった.





図10 大トレンチ西側壁面の断層面上の,やや下向きに伸びる条線(川辺撮影) 条線に直交方向の断層面のうねりからは,上盤側が左側やや下方に(写真では奥に向かって)動いたことがわかる.写真左下はマッチの軸で,この条線の方向に平行に刺してある(図11参照).





図11 大トレンチ西側壁面の断層面上の条線の方向に平行に刺したマッチの軸の並び(川辺撮影)





図12 大トレンチ西側壁面の明瞭な断層破砕帯の下にある,スプーンでえぐったように,下側が低角度で湾曲しながら上に向かってやや高角度になる複数のすべり面(川辺撮影) 明瞭な断層破砕帯とこのすべり面との間はやや明るい色を示しているが,繩又層の細礫大の泥岩の角礫からなっていて,小トレンチの観察では,不整合と見誤った.





図13 大トレンチ東側壁面で見られる,断層破砕帯(写真右上角から左下角)の直上にある大礫に押されて,礫の右下の破砕帯が褶曲をつくっている.実際には,手前側に,礫の下半分を取り囲むように背斜軸ができていた.写真を撮った壁面にはその背斜構造の名残りが見えている.このような断層破砕帯の背斜構造は,礫に押されて破砕帯が盛り上がってできたと考えられる(図13中左下の図;いずれも川辺原図).





図14 だるま落としとは異なる,地震時の慣性力による物体の破壊.図ではわかりやすいように地面に固定された棒で示してある.このように,地震時には,慣性力によって実際の地震のエネルギーの倍に近いエネルギーが物体にかかることがわかる(川辺原図).





図15 用水との合流部の基底部で約1m下流から斜め上に合流部に向かって入っている護岸コンクリートのひび割れは,今回の地震で動いた形跡は見られない(川辺撮影) 見にくい写真で済みませんm(__)m.用水との合流部は,最下部は破断しておらず,下部から上位の部分が破壊されており,地下からの断層の運動と考えるより,用水と護岸のコンクリートが,慣性力によって互いに独立して運動して衝突した結果であると考えた方が妥当である.なお,写真右側に写っているひび割れは,古いものであるが,左ずれを示し,ひび割れの両側の衝突痕からは今回の地震でも動いた可能性を示している.





図16 地元の方の話と米軍空中写真から復元した,1951年頃の濁池川の流れの様子(川辺原図) 北側から流れてきた濁池川は,民家の北西で,民家のある尾根にぶつかって攻撃斜面をつくり,西に向きを変えて尾根を巻くように曲流して,南側の柿の木の方向に向かって流れていた,ということである.その後の耕地整理と河道改修で,尾根を削って旧河道を埋めて,現在の地形の様子ができたということである.





図17 道路東側の水田の水溜り(4月20日,川辺撮影) 電柱より北側で,北東方向に伸びる境界より北側に水溜りができている.もっともたまっている部分に隣接する道路には,補修痕が見られる.ブルーシートの手前が大トレンチ.





図18 トレンチより東側の,道路の東側でみられる地面の変状(川辺原図).水田の水溜りの分布とコンクリート製スロープ(図19)およびその北側の擁壁の開口割れ目(図20)の位置.





図19 コンクリート製スロープのコンクリートの打ち繋ぎ部分下から3段目の開口割れ目(川辺撮影).ここでは5mm開いているが,衝突して割れた痕跡が残っている.開口割れ目は,側溝へと繋がる.





図20 コンクリート製スロープ繋ぎ目の開口部から伸びる擁壁の開口割れ目(川辺撮影).


【更新履歴】
  • 2007年05月01日 非公開ベータ版作成.
  • 2007年05月05日13:01 公開.
  • 2007年05月05日14:29 地震時の地すべりブロックの移動に関する力に関する部分を修正.
  • 2007年05月05日14:29 ●地すべり移動ブロック周囲の変状に関する水田の撓みに関する部分を修正.
  • 2007年05月05日19:10 すべり面の移動方向に関する誤記を訂正.
  • 2007年05月06日17:25 まとめと今後の課題のうち,広域な変状に関する部分を簡略化.
  • 2007年05月08日01:25 誤字・脱字を修正.
  • 2007年05月12日23:58 誤字を修正.
  • 2007年06月20日09:20 第3報の修正・補足に対応する記述をグレーで表示してリンクを追加,およびその旨の注記を追加.


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